マシュハド (Mashhad)
開基は823年に遡る. この年はシーア派・12イマーム派の第8代イマーム・アリー・アッ=リダーの没した年であり、マシュハドとはマシュハデ・レザー、すなわちリダー(現代ペルシア語読みでレザー)の殉教地の意である. アリー・アッ=リダーは以前に「サナーバード」と言う小村であったこの地で、アッバース朝のカリフ・マアムーンの命により暗殺されたとシーア派では考える. こうしてサナーバードにはイマームの死没地としてモスクが建設され、その周辺に徐々に街が形成されていった. ガズナ朝のスルタン・マフムードが建立した墓廟は、マシュハドの最初期の主要建築の1つである. 現在、聖廟とその博物館(アースターネ・クドゥス・ラザウィー)はイラン最大規模の手稿本、絵画などの文化的芸術的宝庫であり、また重要な学派も聖廟との関わりを持つ.
また、マシュハドは1736年から1747年にかけてイランを統治した、アフシャール朝のナーディル・シャーの為政下では首都として繁栄し、マシュハドの聖廟も多大の援助を受けた.
ホラーサーンの北部がロシア領、ヘラートを中心とする東部がアフガニスタン領となったガージャール朝以降、マシュハドはイラン領ホラーサーンの中心都市として、様々な歴史的事件が起きてきた. なお、1912年にイマーム・レザー廟がロシア軍によって爆破され、全世界のシーア派ムスリムに広範な憤激を呼び起こした.
イラン国内でも保守強硬派の牙城とも言われる土地柄で、イラン革命に先立つ1978年8月には、反パーレビ国王体制を訴えて大規模なデモが発生した. しかしながら2017年12月28日には、経済不況やイスラム共和国体制への不満から市民によるデモが発生し、少なくともデモ参加者21人と治安維持にあたった革命防衛隊の隊員1人が死亡した.
地図 - マシュハド (Mashhad)
地図
国 - イラン
イランの国旗 |
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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IRR | イラン・リヤル (Iranian rial) | ï·¼ | 2 |